金村修の言葉 2025年3期

第一回 7月28日
痕跡
人がいない写真のほうが人間を感じる時があるんですよ。そこに人の痕跡があれば。


第二回 8月4日
被写体
ここにある写真に写ってるものって、基本的につまらないものばっかりじゃないですか。それがいいんですよ。見た目が面白いものって、写真に撮ると全然面白くないから。


第三回 8月18日
いい写真
いい写真ってたまに笑うしかない時ってあるじゃないですか。爽快って言うか。言語化できない時の「なんかいい」って、もう笑うしかないから。


第四回 8月25日
日常写真
日常生活を写すといいですよ。撮っておけば何かに使えるし。春日(昌昭)さんの1964年の東京の写真、いま見て面白いのは、フリードランダーみたいな撮り方も面白いけど、やっぱり写ってるものが面白いんですよ。


第五回 9月1日
額装
自分から額装をしようと思ったのは、最初にニコンサロンでやった展示くらい。あんまりやったことはないんですよ。何かが失われるような気がして。それから額装せずに張りっぱなしで四段で展示するようになったんですけど、四段にすると観客の視線が集中しないんです。あと、たくさん写真があると、来てくれた人に喜んでもらえるんじゃないかなって


第六回 9月8日
矢野進氏による特別講義。


第七回 9月22日
カメラ
よくいるじゃない?「私が撮りました」っていう人。違いますよ。カメラが撮ってるんですよ


第八回 9月29日
ピント
写真学校に行くとね、ピント合わせろってうるさいんですよ。でもピントが合ってない写真って意外といいんですよ。


第九回 10月6日
トリミング
いい写真は半分くらいトリミングしてもいいんですよ。


第十回 10月20日
写真
写真やってる人は、どうやって自分の特色を出すかを考える人が多いんだけど、そうじゃないんですよ。「写真を見ろ」ってほうがいいんです。「私を見ろ」って写真より。

だれもみてない


 
||| Overview |||
2024年度受講生のつがわたかのぶさんによる金村修ワークショップ企画展。

Title: だれもみてない
Artist: つがわたかのぶ
Date: 2025年07月02日 〜 7月19日
Open: Tuesday to Saturday 13:00 〜 19:00
Venue: ALTERNATIVE SPACE The White Room #205

||| Essay |||
185年後のイポリット
タカザワケンジ(写真評論家)

 写真という宇宙に、セルフポートレートという星座がある。 その起源は、写真の発明者の一人であるイポリット・バヤールの「溺死者としての自写像」(1840)まで遡る。 写真の発明は1839年、ダゲールとニエプスによる共同研究の成果である『ダゲレオタイプ』とされている。イポリット・バヤールは同じ1839年のもっと早い時期に独自の写真術を発明していた。しかし科学アカデミーには受け入れられず、その絶望と憤怒から生まれたのが、溺れ死んだ男の姿を描いた作品である。死はもちろん演出されたものだ。
 写真の歴史が始まってすぐに「死」を、それも「フィクション」で描いたことは興味深い。写真はその始まりから「真」を「写す」ものではなかったのだ。
 それを作者自身が演じたことも重要だ。バヤールの科学アカデミーの面々への怒りは本物だっただろうが、憤死したのはあくまでフィクション。大蔵省の役人だったバヤールはその後、世界で最初の写真展を開き、フランス写真協会の創設メンバーの一人になった。フランスの建築物や史跡の記録と保存を委託された最初の写真家の一人でもあり、80代半ばまで生きたというから長生きだ。
 さて、ここでご紹介するのは「溺死者としての自写像」から185年たって日本に現れた新人写真作家、つがわたかのぶである。このたび、セルフポートレートを中心とした展覧会を開催することになった。
 つがわたかのぶはセルフポートレートだけを撮っているわけではない。日常という名の大海原に漂う無数の断片を、無差別にすくい撮る。いわゆる無意識写真だ。
 金村修ワークショップに彼が持ち込んだ写真は、猛スピードで変貌を遂げていった。それは、見ることの深化であり、表現することについての自覚を得るプロセスでもあったのだろう。
 写真とは、見ることと撮ることの永遠の円環だ。彼が見ているのは、若者が少なく老人が多く、閉塞感が日常語になり、貧富の差の拡大をひしひしと感じながら生きる都市生活者たちの切ない現実である。
 彼はなぜセルフポートレートを撮るのか。
 そこに私は、怒りという名の炎を見る。ままならないこの世界で、ともすればナルシシズムに傾きがちなセルフ・イメージを否定し、汚れた魂を白日の下に晒すこと。その暴露に彼の表現があるのだろう。
 つがわが試みたのは、イポリット・バヤールの怨念を引き受けて死者を演じるのではなく、2020年代を生きる生者として、「私」を光にさらすこと。その誠実なアクロバットを多くの人に見てほしい。

||| Biography |||
つがわたかのぶ|Takanobu Tsugawa
1997年生まれ。2023年から本格的に写真を始める。

金村修の言葉 2025年2期

第一回 5月5日
場所
何度も同じ場所を撮っているのに、変わって見えることってあるんですよ。違う方向から歩いてみるとか、映画を見たあとに歩いてみると。


第二回 5月12日
わからない
わからないものが面白いんですよ。わかってるものはもう消化してるものだから。


第三回 5月19日
兼平彦太郎氏による特別講義。


第四回 5月26日
距離
撮影に詰まってくると、どんどん対象に近寄っていくんですよ。構図をまとまりやすいから。


第五回 6月2日
写真集
写真集の最初の写真は宣言みたいなもの。この写真集が、ほかの写真集とは違うんだということを示したほうがいいんですよ。


第六回 6月9日
セレクト
写真はセレクション。セレクトできる人は撮影もできるし、展示もすぐにできますよ。


第七回 6月16日
センス
作家はセンスが悪くていいんです。センスが良くて技術があったらデザイナーか、カメラマンになっちゃうから。センスが悪いっていうのは、作家にとって褒め言葉なんですよ。


第八回 6月23日
お金
作品が認められて、お金に換わるのには時間がかかるんです。すぐにお金になる人もいるけど、堕落して撮れなくなりますよ。


第九回 6月30日
カメラ
今のカメラは××(被写体)専用にすればいいんじゃない? クセがついちゃってるから。俺だってマキナで猫撮れないもん。


第十回 7月7日
場所
桑原(甲子雄)さんも荒木(経惟)さんも同じところを何度も撮ってる。毎日写真を撮りたいと思ったら、同じところを撮るしかないですよね。


金村修の言葉 2025年1期

第一回 2月10日
ピント
ピントが合ってない写真っていいんですよね。だからってしょっちゅう合ってないと困るんだけど。


第二回 2月17日
情報
画面にたくさん情報をいれるとシリアスな写真じゃなくなるんですよ。情報が多いのにシリアスな写真はめったにない。とくに文字が入るとどうしても読んでしまうんです。情報を入れるのがうまいのは桑原甲子雄さん、春日昌昭さんですね。


第三回 3月3日
28ミリ
ウィノグランドみたい。28ミリってところがマッチョじゃなくていいのかな。画角が広いから撮りに行く感じがなくなるっていうか。


第四回 3月10日
写真
説明できる写真ってつまらないじゃない?


第五回 3月17日
鈴木親さんによる特別講義


第六回 3月24日
スナップ
スナップはいい瞬間を狙って撮るんじゃなく、驚いて撮る、みたいな感じなんですよ。


第七回 3月31日

フレーミングがキッチリしてれば、看板の文字が入ってもおかしくないんですよ。


第八回 4月7日
写真
ファインダーで見た時とプリントした時は違うし、壁に張って見るとまた違って見えるんですよ。


第九回 4月14日
スナップ
スナップはバランスが悪いほうがいいんですよ。


第十回 4月21日
撮影
(撮れなくなったら)刺激を受けているといいんですよ。いい映画見たり、いい本読んだり。気持ちよくなって撮影が進んで、そのまま会社やめちゃったりするんですけどね。


金村修の言葉 2024年4期

第一回 11月18日
写真
写真に愛されてない。そういう時があるんですよ。長嶋茂雄みたいに野球の神様と両思いならいいんですけどね。


第二回 11月25日
写真家
写真家の言ってることは100%妄想なんですよ。妄想のほうが面白いし、つまんない現実撮ってもしょうがないでしょう。


第三回 12月2日
動画
動画作品は3分を目標につくるといいですよ。3分できれば5分、10分もつくれるから。


第四回 12月9日
回顧展
これだけで展示できなくても意味はあるんですよ。回顧展になれば重要な作品になるかも。作品がいいかどうかより何を考えていたかが重要になるから。


第五回 12月16日
ステートメント
心情とか要らないんですよ。事実だけを淡々と述べれば。それこそ写真ですよ。写真に形容詞は要らない。


第六回 12月23日
順路
物語がないんだったら、ここから見てくれっていう必要はないんじゃない?


第七回 12月30日
コラボ
行き詰まってきたらジャンルが違う人とやるといいですよ。それもぜんぜんタイプの違う違う人と。


第八回 1月6日
方向性
写真をどう構成するかで作品の方向性が決まる。いろんな可能性があるから、一つずつ潰していかないと。


第九回 1月13日
竹内万里子さんによる特別講義


第十回 1月20日
締切
作品が揃ってきたらまず展示の日程を決めるんですよ。締切があるとここでやめようって思い切れるから。


金村修の言葉 2024年3期

第一回 8月26日
写真を見る
(自分の写真を)毎日5分だけ見るんですよ。長く見ないで少しだけ。自分と写真の距離が重要だから。自分の写真好きだなーと思って見てると選べないんですよ。


第二回 9月2日
写真
写真は「止まってる」ってイメージで見てるけど、実は動いているから。


第三回 9月9日
タイトル
夢の中で良いタイトルを思いつくんです。「よし、これだ!」と思うんだけど、起きたら忘れてるんですよ。


第四回 9月16日
展示
展示してみないとわからないことってあるんですよ。最初にニコンサロンで展示した時に額装したんだけど、合わないなと思って、それから貼りっぱなしにしたんです。


第五回 9月23日
展示
撮った写真は1年毎に区切って展示するんですよ。そうしないと写真がありすぎて選べなくなるから。


第六回 9月30日
長島有里枝さんによる特別講義


第七回 10月7日
影響
誰からも影響を受けていないっていうのは弱いんですよ。それって自分の根本みたいなもんだから。


第八回 10月14日
展示
展示考えてみれば? 空間の中で写真を見たほうが冷静に見られるっていうか、見え方が変わる。展示をしてみないと本当にいい写真かどうかわからないんですよ。


第九回 10月21日
カメラ
カメラはカバンから出さなければ重いだけだから。


第十回 10月28日
コンセプト
コンセプトはシンプルなほうがいいんですよ。河原温みたいに。


sugar for the pill

 
||| Overview |||
2023年度受講生の梶瑠美花さんによる金村修ワークショップ企画展。

Title: sugar for the pill
Artist: 梶瑠美花
Date: 2024年07月09日 〜 7月27日
Open: Tuesday to Saturday
Venue: ALTERNATIVE SPACE The White Room #205

||| Essay |||
撮る/撮られるから、写真による対話へ
タカザワケンジ

ポートレイト写真にはセンシティブな問題がつきまとう。
カメラを手にした側は、レンズの前にいる人物をコントロールし、自身の意に沿う写真を撮ろうとする。シャッターを切る決定権はカメラを手にした側にある。写真撮影が創作である以上、作者のエゴが発揮されるのは当然だ。しかし、相手が人間である以上、撮る/撮られるという関係には必然的に権力関係が生まれてしまう。
しかし撮られる側がいつもコントロールされる側にとどまり、黙って撮られているだけというわけではない。
カメラを手にした人間が「撮りたい」と思うように、「撮られたい」と思ってレンズの前に立つ人がいる。どう撮りたいか、どう撮られたいかというそれぞれの欲望がスパークした結果──それが梶瑠美花の写真である。
梶は本展のステートメントで制作プロセスを明かしている。

(1)ソーシャルネットワークを使用し写真に写りたい人物を探す。
(2)その人物が指定した日時に指定された場所に行き、その場で即興的にスナップショットのスタイルで写真を撮る。
(3)同日インタビューも併せて行い、彼女らに話したいことを話したいだけ話してもらう。

なぜ梶は彼女たちを撮りたいのか。
梶はその根拠に自身が従事していた医療現場で論じられているケアの概念を置いている。対人関係のプロセスそのものがケアになるという考え方だ。
なぜ彼女たちは梶に撮られたいのか。
その問いに対する答えはさまざまだろうし、言語化するのは困難だろう。
梶は写真を撮ることで、言葉のいらないコミュニケーションの可能性を示す。そのうえで彼女たちが発したい言葉に耳を傾ける。
そこには撮る側と撮られる側が、ともに何かを表現したい、発信したいという共通の動機が存在する。動機はある。しかし伝えたいことがうまく言葉にならない。そうした手探りの状態での表現は写真が得意とするところである。写真はその表面だけを写すだけで、何の評価もジャッジもしないからだ。
梶は写真を撮り、文章を書き、それをアーティスト・ブックにまとめている。今回は初めて展覧会をいう方法を採り、空間の中でどう表現するかという課題に挑戦する。
アーティスト・ブックではモデルとなった女性たちが一つに溶け合い、そこに何人の人物が写っているのかも曖昧だ。
撮る/撮られるという境界すら曖昧になり、作者自身がこの中にいるのではないかとさえ思う。
19世紀のヨーロッパで科学的な知見をもとにリアリズムを追求した自然主義文学の一つに小説『ボヴァリー夫人』(1857)がある。宗教的なモラルに反すると批判され、議論を巻き起こしたが、作者のフローベルは敢然と「ボヴァリー夫人は私だ」と語った。描いた対象にまっすぐに向き合った結果、性差や設定を超えてその主人公は作者自身になったのだと。
梶もまた言うだろう。「彼女たちは私だ」

||| Artist Statement |||
住み慣れた土地と仕事を離れ、見知らぬ場所でSNSの中の女性たちと会い続けている。
その理由はCOVID-19が流行してからの3年間、感染拡大防止のため患者以外との人間関係や外部との接続を断たれ、医療従事者として求められるまま閉鎖的に過ごしたからだ。
社会との関係性が希薄になるにつれ現実感覚は乏しくなっていき、いつしか自分を見失ってしまった。きっとそのことによる反動のようなものだろう。

看護理論のひとつに、“対人関係のプロセスそのものがケアになる”という考え方がある。1953年に看護学者のヒルデガード・E・ペプロウによって書かれた『人間関係の看護論』によるものである。見知の人間同士の出会いから始まり、人間関係の相互作用の中で影響を及ぼし合い、課題解決へ共に向かっていくのだという。撮る者と撮られる者という関係を乗り越え、撮影者と被写体もそのような関係になっていけるだろうか。

彼女たちは、見知らぬ写真家に身近な人に言えないものを吐出し、写真家は現実の手触りを感じながら写真を通じてコミュニケートする。外の世界で他者と交わり、関係性の中で自己が更新されていく。それが自己を取り戻すような経験であることを願っている。

(要約版。ステートメント全文は会場にて配布。)

金村修の言葉 2024年2期

第一回 5月13日
展示と撮影
ある程度写真がたまってきたら、展示を想定しながら撮るといいですよ。セレクトが変わってきます。


第二回 5月20日
ポートレート
カメラを手にした瞬間に撮る練習をするんですよ。じーっと見てると相手が警戒するから。ポートレートは観察しすぎるとダメなんです。


第三回 5月27日
写真
主観性がないところがいいかな。表現意欲がないっていうか。淡々としてる。記録に近いよね。


第四回 6月3日
タイトル
タイトルは重要。写真学校で一年かけて教えてもいいくらいですよ。


第五回 6月10日
焦点
この写真なんか焦点がはっきりしないところが面白いっていうか。何を見てんだろうと思う。ちょっと怖いよね。


第六回 6月17日
カメラ
新しいことやりたいならカメラを変えるんですよ。道具と出合うって重要なんです。


第七回 7月8日
レンズ
レンズは標準が1本あれば十分なんですよ。交換レンズはね、スポンサーが来るときに見せるものなんです。


第八回 7月15日
原美樹子さんによる特別講義


第九回 7月22日
曲線
画面にぐにゃぐにゃした曲線が入って来ているのはいいですね。有機的になるから。


第十回 7月29日
良い写真
20枚くらい良い写真があれば40枚選ぶことはできますよ。40枚全部が良い写真じゃなくてもいいんだから。


金村修の言葉 2024年1期

第一回 1月22日
ワークショップ
写真は単語。このワークショップで学んでほしいのは文法です。


第二回 1月29日
撮影
犬のマーキングみたいなもんですよ。同じところ毎回撮ってて飽きないんだから、写真家は。


第三回 2月5日
距離
自分と写真がくっついちゃうと作品になりづらいんですよ。


第四回 2月12日
視線
作品は人に見せることが必要なんですよ。他人の視線がないと思想は生まれないから。


第五回 2月19日
説明
説明的に撮ると弱くなるんですよ。写真は現実を写すから。


第六回 2月26日

量を展示したほうがいいですよ。たくさん出して表現できる写真ってあるから。やりたいことが明確になるっていうのかな。あとから誰かに絞ってもらってもいいし。どっちも自分でできると一番いいんだけと。


第七回 3月4日
Marco Mazziさんによる特別講義


第八回 3月11日
人生
写真家は自分だけじゃなく、撮った相手の人生までついてきちゃうんですよ。


第九回 3月18日
見方
「自由に作品を見てほしい」っていう作家がいるけど、最初から自由というのは弱いんですよ。


第十回 3月25日
写真集
いい写真ばかり並べたらいい写真集ができるかっていうとそうじゃない。それって音楽でいうとベスト盤みたいなもの。ベスト盤で面白くないじゃない?