父は「足組むはダメ」だって

||| Overview |||
2020年度受講生のrajiogoogooさんによる金村修ワークショップ企画展。

Title: 父は「足組むはダメ」だって
Artist: rajiogoogoo
Date: 2021年03月02日 〜 13日
Venue: ALTERNATIVE SPACE The White Room #205

||| Essay |||
資本主義の廃墟
~rajiogoogoo「父は「足組むはダメ」だって」によせて
金村修

フェティシズムは日本語で物神性と訳される。いきなり外部から物に対して神が取り憑いてしまうことがフェティシズムなのだろうか。物が単独でしか存在しないのならそこに神が取り憑くことはないだろうが、他者との関係の中に物が置かれるときにそのようなフェティシズムが発生する。フェティシズムとは単独で現れるものではなく、関係の中から現れ、商品や貨幣はそのようなフェティシズムを内包している。むしろフェティシズムによってそれらは成立しているのだ。
神が突然憑依することがフェティシズムであるなら、そのような物神性はいわゆる神という外部の領域からではなく、商品の交換過程の中から現れるのではないだろうか。商品が単独でしか存在しないのならそこに神が取り憑くことはない。他者との関係の、それは交換過程の中に商品が置かれるときにそのようなフェティシズムが発生する。
交換過程から発生したフェティシズムは、交換する主体であった人間を支配するだろう。マルクスは商品の物神性について、机が一人で踊り出すことだと説明している。商品は人間が作った物でありながらも、作った人間を支配し、私達はその商品が欲しいのではなく、商品によって私達の欲望が作り出される。 
rajiogoogooの作品にはそのようなフェティシズムが存在しない。これらのガラクタのような商品達は、私達に欲望を喚起させないのだ。商品からフェティシズムという物神性を排除したrajiogoogooの作品は、商品や資本主義の廃墟のように見える。

||| Artist Statement |||
この部屋はパパのために
「長い歳月が過ぎて銃殺隊の前に立つはめになった時、恐らくrajiogoogooは、父親に連れられて初めてビンタされた、遠い日の午後の事を思い出したに違いない」
10歳の正月に、おばあちゃんの家へ夕飯を食べに行った。
ちゃんと食事しなかったので、パパにビンタされた。
痛くて痛くて、あわてて小部屋に逃げた。
わたしは怒った。それから、この部屋はパパと戦うための専用の部屋になった。
パパのことを反対するのがこの部屋のルールだ。
パパの大好きなテレビを運んできて、24時間プレイした。
パパがいつも聴いているレコードを盗んで来て、めちゃくちゃにした。
パパに「ダメ」と言われたことを、かえってやった。

そして、12日間待った。

パパはわたしを忘れちゃったの? なぜ来ないの?


 

 

 

 

 

 

 

 

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