だれもみてない


 
||| Overview |||
2024年度受講生のつがわたかのぶさんによる金村修ワークショップ企画展。

Title: だれもみてない
Artist: つがわたかのぶ
Date: 2025年07月02日 〜 7月19日
Open: Tuesday to Saturday 13:00 〜 19:00
Venue: ALTERNATIVE SPACE The White Room #205

||| Essay |||
185年後のイポリット
タカザワケンジ(写真評論家)

 写真という宇宙に、セルフポートレートという星座がある。 その起源は、写真の発明者の一人であるイポリット・バヤールの「溺死者としての自写像」(1840)まで遡る。 写真の発明は1839年、ダゲールとニエプスによる共同研究の成果である『ダゲレオタイプ』とされている。イポリット・バヤールは同じ1839年のもっと早い時期に独自の写真術を発明していた。しかし科学アカデミーには受け入れられず、その絶望と憤怒から生まれたのが、溺れ死んだ男の姿を描いた作品である。死はもちろん演出されたものだ。
 写真の歴史が始まってすぐに「死」を、それも「フィクション」で描いたことは興味深い。写真はその始まりから「真」を「写す」ものではなかったのだ。
 それを作者自身が演じたことも重要だ。バヤールの科学アカデミーの面々への怒りは本物だっただろうが、憤死したのはあくまでフィクション。大蔵省の役人だったバヤールはその後、世界で最初の写真展を開き、フランス写真協会の創設メンバーの一人になった。フランスの建築物や史跡の記録と保存を委託された最初の写真家の一人でもあり、80代半ばまで生きたというから長生きだ。
 さて、ここでご紹介するのは「溺死者としての自写像」から185年たって日本に現れた新人写真作家、つがわたかのぶである。このたび、セルフポートレートを中心とした展覧会を開催することになった。
 つがわたかのぶはセルフポートレートだけを撮っているわけではない。日常という名の大海原に漂う無数の断片を、無差別にすくい撮る。いわゆる無意識写真だ。
 金村修ワークショップに彼が持ち込んだ写真は、猛スピードで変貌を遂げていった。それは、見ることの深化であり、表現することについての自覚を得るプロセスでもあったのだろう。
 写真とは、見ることと撮ることの永遠の円環だ。彼が見ているのは、若者が少なく老人が多く、閉塞感が日常語になり、貧富の差の拡大をひしひしと感じながら生きる都市生活者たちの切ない現実である。
 彼はなぜセルフポートレートを撮るのか。
 そこに私は、怒りという名の炎を見る。ままならないこの世界で、ともすればナルシシズムに傾きがちなセルフ・イメージを否定し、汚れた魂を白日の下に晒すこと。その暴露に彼の表現があるのだろう。
 つがわが試みたのは、イポリット・バヤールの怨念を引き受けて死者を演じるのではなく、2020年代を生きる生者として、「私」を光にさらすこと。その誠実なアクロバットを多くの人に見てほしい。

||| Biography |||
つがわたかのぶ|Takanobu Tsugawa
1997年生まれ。2023年から本格的に写真を始める。