Workshop SiteHomeNewsStatementsReportsExhibitionInformation
Statements / 2014年3期 7月14日〜9月29日
ワークショップ開講にあたり 金村修が寄せたテクスト
2014_03
ステートメント
「Elvis the“Positive Thinking”Pelvis」。 デビュー当時のエルヴィス・プレスリーは、腰の動きがあまりにも激しいので、Pelvis(骨盤)プレスリーと呼ばれていた。上下左右にグラインドする腰の動きが猥褻だというので、エド・サリバン・ショーのテレビ中継では、下半身の部分はカットされ、上半身しか映らない映像で中継された。上半身だけがぴくぴく動く映像は、水面で魚が餌に食いついて浮き餌がぴくぴく動いてるようで、狭い水槽のなかを酸欠で口をぱくぱくしている金魚みたいな、あまりにも不自由なプレスリーの姿だった。そんなテレビ局の中継のやり方に腹を立てたのが、ティーンエィジャーだったジェリー・ルービンやフランク・ザッパだ。ジェリー・ルービンは常連だった玉突き場でそのテレビ中継を見て怒り狂い、仲間達と玉突きのキューでテレビを粉々に壊してしまった。フランク・ザッパは、居間のテレビにおもいっきり蹴りを入れてブラウン管を爆発させた。ザッパは映画「暴力教室」のトップシーンの主題歌、ビル・ヘイリーの歌う「Rock Around The Crock」に興奮して、映画館の椅子を破壊した前歴がある。遠くイギリスのリバプールでは、ジョン・レノンがラジオではじめてプレスリーを聴いた。プレスリーを聴くまでは、なにごとにもこころが動かされず、なにを見ても聴いてもなんの感慨もないし、世の中に対してなんのリアリティーを感じなかったティーンエィジャーのジョン・レノンがプレスリーを聴いて、はじめてこころのなかでなにかが動きはじめたと後年のインタビユーで語っていた。
イギリスでもどこでもそうだろうけど、アメリカの中産階級の生活には、人をいら立たせる大きな空虚感があるようだ。アメリカの中産階級ドラマの白い歯を出してにっこり笑い、ヤニ臭さをすっかり消臭したクリーンなパパや、得意料理は冷凍食品を電子レンジであたためるだけの家族思いと家族自慢しかとりえのない元チアガール出身のママに、ハイスクールではフットボール部のキャプテンで、女の子や子供に優しいと評判の、後年ベトナムのソシミ村で村民虐殺に参加するぼくと、先天的に羞恥心が欠けていてどこでもすぐトップレスになってボーイフレンドに肩車をしてもらい大騒ぎするのが大好きな、笑顔と健康と子づくりが売り物のガールフレンド、ルーシー。そして一生この街に住みつづけ、将来市役所の戸籍係か、実家のドラッグストアを継ぐしか能のない親友のジョニーがどたばたしながらアメリカン・ウェイ・オブ・ライフを堪能する。ハイ!ママ、パパ、おはようルーシー!元気?ジョニー!というような表面はぴかぴかと輝いてるけれど、なかはからっぽな典型的なアメリカン・ウェイ・オブ・ライフのドラマがよくテレビで中継されていた。こうした50年代の生活様式がフランク・ザッパの音楽上のモチーフを決定したのだろう。フランク・ザッパは「Absolute Free」の出だしで“大統領はただいま病気です”と宣言し、「Brown Shoes Don’t Make It」で13歳の女の子に発情して売春を強要する公務員の歌を歌い、「America Drink & Goes Home」ではキャプテン・アメリカが酔っぱらってバーを破壊して家に帰るというアメリカの中産階級に対する徹底的な嫌悪感を表明した。
黒人のレコードはレース(人種)・レコード呼ばれ、コンサート会場には白人と黒人と境界があり、学校や家庭では黒人ミュージシャンの音楽を聴くことは悪魔の音楽を聴くことだと教えられる。悪魔の手先だと思われていた黒人ミュージシャンは徹底的に当局に弾圧された。チャーリー・パーカーはつねに尾行され、レイ・チャールズはマリファナ所持程度で(60年代の終わりにブラックパンサーに敬意と連帯の挨拶として武装白人集団ホワイトパンサーを創立した、元MC5のマネージャー、ジョン・シンクレアは、微少な量のマリファナ所持でいきなり懲役10年を言い渡された)、チャック・ベリーはたまたま13歳の女の子と話していただけで、淫行罪で実刑になった時代に、エルヴィス.プレスリーは堂々と黒人のR&Bの歌手みたいに腰を振り、16ビートの節回しを真似して歌っていた。白人達が謳歌するアメリカン・ウェイ・オブ・ライフに、エルヴィス・プレスリーは違和感を感じていたと思う。長距離トラック・ドライバーでピーナッツバター・サンドにバナナの輪切りを大量に挟むこととポーク・クレイヴィという豚のバラ肉をフライパンで焼いて、その油ともどもパンかライスにかけて食べるという決して上品とは言えない料理が大好きな労働者階級出身の彼には、アメリカの日常はうんざりするような明るさだったのだろう。明るくてハッピーな黄金の50年代の裏で、孤児だったジェームス・ディーンは拾われた教会の宣教師に毎日性的関係を強要され、ときには毛ジラミをうつされていた。労働組合をつくって賃上げ運動をするような連中はロシアの第五列で、アメリカを破壊しようとする売国奴だから殺してもかまわないし、ホモセクシャルは精神病だから、気絶して口から泡がでるまで毎日電気ショックを与えることが当たり前だった50年代のアメリカ。ルー・リードが「Kill Your Sons」で“精神科医づらしたロクデナシが電気ショックをやっている 精神病院にいるかわりに おやじやおふくろと家でくらせるようにしてやるからとやつらは言った でも いくら本を読もうとしても 17ページも進まない 読んでいるところを忘れてしまうから 読むことさえできない おふくろが電話でぼくに言ったよ オヤジをどうしたらいいのかわからないって オノでテーブルを叩きわったのだ 結婚してうれしいだろ 妹 彼女はロング・アイランドで結婚した 亭主は汽車で通勤 大きくてデブ ヤツには脳がない クリームドアでぼくは手厚く治療された ペイン・ウィットニーはさらに良かった ぼくがPHCで狂っていたときは ものすごく悲しかった 一通の手紙も受け取らなかった ぼくたちがやったドラッグ あれはみんなおもしろかったけど 巷のクリスタル・スモーク入りのソラジンを射ちこまれたらみごとに窒息するぜ 知らないのかい? やつらはあんたの息子を殺す”と50年代の青春の日々を愛しむように歌う。
テレビの西部劇では、カウボーイ達は拳銃の代わりにギターを持つようになる。銃で人を殺すよりも、ギターで歌を歌うほうが好きになる。そのうち彼らは馬ではなく、車で登場するようになるだろう。漂泊がライフスタイルだった彼らが、いつかその土地に定着するようになり、夜になると奥さんと子供のいる家に帰るようになる。カウボーイの聴くカントリー&ウエスタンはいつから家族連れの定着者の聴く音楽になってしまったのだろう。転がる石に苔はつかないと言うアメリカン・ウェイ・オブ・ライフの教訓に屈服したカウボーイ。アントニオーニの「砂丘」で、砂漠の真ん中にあるバーのジュークボックスで酔っぱらった元ボクサーがテネシーワルツを大音量で聴いている、そんな光景に鳴り響くBGMがカントリー&ウエスタンだったし、ウイスキーびたりの元ボクサーの姿がカウボーイ達の本当の姿だったのだ。カントリー&ウエスタンはその土地に定着した者達の音楽でないし、家族団らんの場でかかるような音楽でもない。カントリー&ウエスタンは漂泊を強要して、いつかは野垂れ死ぬ運命を予感させる旅へ人を誘惑する。
Rock’nRollの命名者は、白人のDJアラン・フリードで、彼はラジオで喋るときに両手に電話帳を持って、交互にテーブルにリズムをつけて叩きながら喋る扇動的なDJだ。アラン・フリードはチャック・ベリーから“ブラザー”と呼ばれるほど黒人の音楽をかけまくる50年代唯一の白人DJだった。ラジオではパット・ブーンやフランク・シナトラなんて一切無視して、ビートの強烈なR&BやRock’nRollばかりをかけていた。ラジオだけでなく、「Moondog Rock’nRoll Party」と名付けてレコードを会場で、大音量で鳴らし、騒乱罪で検挙されたこともあったらしい。中産階級の白人の子供達を黒人のレコードで堕落させる悪魔の人物だと当局からにらまれていたらしく、黒人と仲がいいというのも災いしたのだろう。大騒ぎになったショウの会場で警察官がショウの中止を勧告すると、彼は集まった若者達に“あなたがた若者が音楽を楽しむのを警察はやめさせようとしている。彼らにとってあなたがたの楽しみの対象は、なにであれ好ましくないのだ”とマイクを通して煽動した。この事件を機として彼は中産階級の子供達を煽動するコミュニストの手先ということで、あらゆるラジオ局の仕事を降ろされた。アラン・フリードはラジオでレコードをかけるとき、いつもヘッドフォンでヴォリュームいっぱいにあげるのがくせで、それが原因で晩年は難聴になってしまう。1965年にアラン・フリードは死んだ。直接の死因はアルコール依存症だった。アルコールに耽溺して、チャック・ベリーやリトル・リチャードやファッ・ドミノを日常的にヘッドホンでフル・ヴォリュームで聴かなければいけないほど、アラン・フリードはアメリカ的な価値観に囲まれた環境にうんざりしていたのだ。真面目に学校に行き、卒業したら市役所で働き、ビールとテレビと冷凍食品だけが生き甲斐のアメリカン・ウェイ・オブ・ライフに対して、リトル・リチャードの歌う、「Long Tall Sally」、「Good Golly Miss Molly」、「Lucille」、「Jenny Jenny」、Wow Wow PaPaPaPa Do PaPa Wow Wow Yeah! Yeah! Yeah! Yeah!という無意味な叫びを大音量で聴いてる方が、餌付けされ、去勢され、意味もなく従順になることを強要するアメリカン・ウェイ・オブ・ライフを選択するよりずっと素敵なことだ。リトル・リチャードの絶唱以外の雑音に耳を傾けるべきではないとアラン・フリードが煽動した。市役所の変態の戸籍係になるよりは、黒人のリトル・リチャードや、アルコール依存症で孤独に死んだアラン・フリードになりたいと思うだろう。
エルヴィス・プレスリーは徴兵試験をうけて兵役に就き、リトル・リチャードは牧師に転向して、バティ・ホリーやエディー・コクランは飛行機事故で死ぬ。レイ・チャールズはカントリー&ウエスタンの焼き直し「愛さずにはいられない」を白人の中産階級層にむけて歌う。除隊後のエルヴィス・プレスリーも「オーソレミオ」のカバーヴァージョンだった。エルヴィスの真似で出てきたトミー・ティールやクリフ・リチャードはエド・サリヴァン・ショーで腰も振らずに、ただににこにことして歌っているだけで、なんの物議もかもさなかった。“彼らみたいな青年がもっと出てくるといいのに”とエド・サリヴァンは彼らを褒めたたえ、さらに殺菌され黴菌なんて一つもないような白人のゴスペルグループが歌う、最悪の「もっとRock’nRollの歌を少なくして、神について歌ってみませんか?」という歌がトップテンに上がってきた。そんなアメリカの50年代で生きていくには、アラン・フリードみたいにヘッドフオンでフルヴォリュームにしたまま外界の音を遮断して孤独にアルコール依存症の道を歩くか、精神病で電気ショックか流行しはじめたロボトミー手術を受けて、外界の刺激に無反応になり、「砂に書いたラブレター」みたいな無害な曲をただにやにやしながら聴くか以外の選択肢しかなくなるだろう。カサヴェテスの「壊れゆく女」のジーナ・ローランズみたいに顔をひきつらせ、つねに正常でいなくてはならないという強迫観念が、彼女の周りを警戒させ、おどおどしている顔になって生きていくしかなくなるのだ。
50年代のアメリカン・ウェイ・オブ・ライフは、車で意味もなくそこら辺をクルージングして女の子を追いかけ、ポップコーンとホットドックとコカコーラかビールで一日が終わるという、まるでロボトミー手術を受けたような単調な生活が、いわゆる標準的アメリカ青年だと世間的に肯定される。ポップコーンとホットドックとコカコーラで、アメリカ人の精神は沈静化されるようだ。
ルー・リードはポップコーンとホットドックとコカコーラに、それにやたらとでかい車が大嫌いだったらしい。本を読むのが好きな内省的な文学少年だったルー・リードが17歳のときホモ・セクシャル疑惑で、精神病院で電気ショックを24回受けた。それでホモ・セクシャルが治らないなら、次は脳に穴をあけてのロボトミー手術を予定していたらしい。電気ショックで脳のある部分を沈静化されたルー・リードは、その沈静化されることについて「ゴダイヴァ婦人の手術」というヴェルヴェット・アンダーグラウンド時代の曲のなかで告白している。
“医者がやってくると看護婦は喜んで考える 手際よく空気を送りこむ機械のスイッチ入れる 裸のまま横たわっている かっては叫んでいたものが剃られて 毛もなく 今では静かに横たわり ほとんど眠っている 脳がどこかに行ってしまったにちがいない 白い台の上にしっかりと縛りつけられ エーテルが体を萎ませ 身もだえさせる 白いライトの下で 医者がナイフとカバンをもって到着し キャベツ大の腫れ物を見る それは今や 取り除くしかない 偉大な!偉大な!決定! の瞬間がきた 医者は初めのメスを入れる! ここに一つ あそこに一つ エーテルの管が漏れていると うっかり屋が言う 患者はちゃんと眠ってないようだ 叫びが廊下に響き渡る 慌てるな すぐ誰かがペンタソールを与える 医者はメスを 慎重に脳から外す 10までぼくが数えると その頭はうごかない”。
エルヴィス・プレスリーもリトル・リチャードも、バティ・ホリーやエディー・コクランそれにアラン・フリードもこんなふうに、みんな頭がうごかなくなった。神さまから選ばれたとしか思えない美しい声の持ち主達が、なんのことわりもなく電気ショックやロボトミー手術で去勢された豚みたいに無難な音楽を歌いはじめる。エルヴィスはやがてお母さんの葬式で天上の神よ!母の罪を許したまえと大泣きしながら歌い、リトル・リチャードは神への真剣な祈りが通じて、わたしは飛行機事故から助かったと真顔で語る。マイノリティが50年代のアメリカで生きていくということは、徴兵制で兵隊になるか、牧師になるか、アルコール依存症になるか、電気ショックやロボトミー手術を受けるか以外の選択肢しかない。マジョリティの支配するアメリカン・ウェイ・オブ・ライフの価値観、チアガールの女の子に恋をして、ポップコーンとホットドックとコカコーラを謳歌するのには、電気ショックを受ける以外に道はないのだ。 ジェリー・ルービンやフランク・ザッパもいずれ兵隊になってGIカットにするか、電気ショックやロボトミー手術を受けるか、ホットドックとコカコーラという油と砂糖で脳を沈静化させてでかい車を乗り回し、きれいに刈られた芝生付きの家で元チアガールの奥さんと、にきびで悩む男の子と異性のことしか頭にない女の子との家族生活を謳歌するそんな未来にうんざりしていたと思う。
ジェリー・ルービンは今まで毎日苛々していたけれど、なんで自分がこんなに苛々するのか分からなかった。それがエルヴィスの出演したテレビを見て、何が自分を苛つかせるのか分かった。浮き餌みたいに揺れ続けることをエルヴィスに強要するアメリカの価値観が自分を苛つかせるのだ。エルヴィスの下半身を猥褻だと言ってカットするエド・サリバンに代表されるスクエアな価値観がジェリー・ルービン達を洗脳して、縛りつけ、息苦しい思いをさせていたのだ。エド・サリバンに会ったら必ず殺してやると言って玉突き場で友達と別れた後、彼は不思議な感動を感じたらしい。苛立ちの原因がはっきりしたことと、白い歯を剥き出して笑い、いつもパパ、ママ、愛してると言わなければならない自分の周りを囲んでいるアメリカ的な価値観など死んでしまえばいいという破壊衝動を素直に肯定している自分に感動したと語っていた。
黒人のレイ・チャールズに得意の「I got woman」という下品でだけどおもいっきり躍動感のある歌を歌わせないで、カントリー&ウエスタンの「愛さずにはいられない」を歌わせるアメリカ的な価値観と決別すること。無知でなにも知らない可哀想なヴェトナムの民衆をコミュニストの手から守ってやろうという世界の保安官を自任するアメリカに対して、“平和のために殺せ!”とステージで星条旗の模様をあしらった帽子をかぶるFugsのエド・サンダースのようにアメリカ的価値観と公然と敵対すること。
ジェリー・ルービンやフランク・ザッパはアメリカの社会のすべてが、自分の敵だと思ったときの興奮を発見したのだ。社会のつまはじきになるという孤独な至福。奥さんに、子供に、家に、車という価値観を足蹴にしてゴミ箱に叩き捨てる喜び。輝かしいアメリカの50年代のなかで積極的に異邦人になる。“アメリカは物質主義に狂っている。世界の警察国家アメリカ、生の感情も魂もないアメリカは、誤った権利の偶像を擁護しようとして、世界を相手に戦おうとしている。ウォルト・ホイットマンの同志たちの、あの粗野で美しいアメリカでは、もはやない”警察国家アメリカのなかでエルヴィスやブラックミュージックに狂い、徴兵制から逃げまくり、大学をドロップアウトして、まともな仕事もせずにビート・ジェネレーションやヒッピーの集団に身を投じることは、ホィットマンの同志にもう一度戻ることであり、ホィットマンの同志に戻ることはアメリカにとって最大の敵になることだった。ジェリー・ルービンは、やがてアビー・ホフマンやその仲間達と共に自分達のことを国際青年党、イッピーと名乗り、黒人の武装とアメリカ帝国主義打倒を公然と党のテーゼに掲げるブラック・パンサーと共闘する。彼らは1968年のシカゴ民主党大会で、“Burn Baby Burn”と叫び、流血騒ぎの暴動を起こすだろう。
雨が降ったらその雨を見て、いまいましい雨だとネガティヴ思考に陥るか、雨が降ったら新品の傘がさせるし、それに雨は農産物にとっては恵みの雨だとポジィティヴに考えるか。50年代のアメリカは、後者のポジィティヴ・シンキングが躁状態の妄想ではないかと思うぐらいの超ポジィティヴ・シンキングというべき手のつけられない幻想に膨れ上がる。肥大化した妄想はとどまることをしらない。アメリカは自己の妄想が肥大化していくことを全面的に肯定するだろう。妄想の肥大化と他者への妄想の無制限な強要がアメリカの国家産業構造にもともと埋め込まれていた基本的な思考なのだ。全能の神が領域を拡げろとアメリカ人を叱咤激励する。ポジィティヴ・シンキングという名の能天気な妄想を世界中に浸透させようとする。妄想を世界に拡げるのだ。われわれの領域を世界中に拡げるのだ。“アメリカ史の最大の特徴のひとつは、「フロンティアの西漸」「西部開拓」などの言葉で示されるように、「膨張」にある。アメリカは建国の当初から西部への膨張をおこないつづけた。その意味で膨張はアメリカの国策の基本原理であり、いわば国家構造に不可欠な内部装置であった。‥しかし同時に、膨張が十九世紀前半において、領土的膨張を内容とするいわゆる大陸的膨張のみでなく、商業的膨張を内容とするいわゆる海外膨張を含んでいたことを忘れてはならない。そしてこの両者を含んだ膨張こそ、アメリカ外交における国家的利益の実体であり、その核心であった。さらにいうならば、いわゆるアメリカ民主主義も、膨張が国家構造内の制度化され、機能を発揮することによって、はじめてその存在と機能を保証されてきたのである”アメリカのポジィティヴ・シンキングはあらゆる境界を突破するだろう。領域の膨張は、アメリカにとって国是なのだ。
“狭い領域ではなく広い領域で機能することが必要である。領域を広げよ”“領域を広げれば党派や利益集団はいっそう多様化し、全体の多数者が他の市民の権利を侵害する可能性は減少するであろう”“すべての人種のなかから、神は世界の再生のための指導者としてアメリカ人を選び給うた”“アメリカは光明を高くかかげてきた。その光は全世代にわたって輝き、人類の足もとを照らしつつ、人類を正義、自由、平和への目標に導くであろう”“世界を民主主義の安全なすみかにしなければならない”“過去一世代以来全能の神がわれわれに命じた指導者の役割をついに担うことになった”“神はわれわれに自由世界の指導者という大きな使命を与えられた”“自由がそこに確保されれば、南ヴェトナムの町や村は再建される。アジアに自由が確立されないかぎり、また太平洋地域全体が一つの大きな平和共同体社会とならないかぎり、砲声が止まらないかぎり、隣人たちが不安を抱くかぎり、アメリカ人は休憩をとることはできず、また眠ることもできない”
“ゼネラル・モーターズにとっての利益はアメリカにとっての利益である”という自惚れたアメリカのポジィティブ・シンキングに対して、エルヴィス・プレスリーに熱狂した人々はうんざりしたのだ。自分の国にない資源を他人の国から奪い取り、国内での余剰製品や危険な製品を他国で無制限に流通させることを強要する、自己中心的に世界が動くことを神の名において肯定する欺瞞に、たとえば「理由なき反抗」を撮ったニコラス・レイはもうとっくに気づいていた。
他国からの収奪という資本主義の原始的蓄積で繁栄し、自分達の価値観が世界で一番なのだというナルシズムが支配するアメリカの50年代に対して、ティーンエィジャー達は自分の部屋か、車のラジオでエルヴィスの“Hound Dog”に孤独に熱中する。エルヴィス・プレスリーを聴くことは、孤独な破壊願望を肯定することだ。ビリヤードのキューでテレビを、映画館で椅子を破壊することは正しい表現だろう。どんなに嫌なことでも腹を立てない、マイナスな状況をプラスに転化するなんて全然ポジティブではない。怒ったことなんて一度もないなんていう巷のポジティブ・シンキングは奴隷の思考方法だ。1968年のシカゴ民主党の党大会にジェリー・ルービンは大統領候補にもっともふさわしい人物だと言って、豚を党大会に連れてきた。68 年のアメリカにもっとも必要な大統領候補は豚だとジェリー・ルービン達は言う。他国の侵略と“ゼネラル・モーターズにとっての利益はアメリカにとっての利益である”というブルジョアの利益しかあたまにないアメリカの大統領は豚で充分だ、そんなものはみんな焼き尽くせと“Burn Baby Burn”を合い言葉にブラック・パンサーが立ち上がるだろう。黒人のスラム街ではロング・ホット・サマーという暴動の季節がやってくる。放火、暴動、略奪は、抑圧された人民の正しい自己表現であり権利だ。腹が立ったらジェリー・ルービンやフランク・ザッパのように手近な物を壊し、気に入らないものはロング・ホット・サマー、長い夏のスラム街のようにすべてに火をつけて燃やしてみる。放火とは浄化であり、暴動とは主張の表明、現実の再構築であり、略奪は富の公平な再分配だ。破壊衝動をそのまま全面的に肯定することが「Elvis the“Positive Thinking”Pelvis」の積極的で前向きな思考法だ。
金村修

PageTop
© 2011-2014 KANEMURA OSAMU WORKSHOP
Home | News | Statements | Reports | Information |