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Statements / 2011年1期 1月10日〜3月14日
ワークショップ開講にあたり 金村修が寄せたテクスト
2011_01
ステートメント
 ブルジョワの階級は貴族階級のようなお抱えの肖像画家を持つことをしなかった。ブルジョワの階級は肖像を必要としない。彼らは肖像を描くことで自己の同一性を確認する必要も、他人と識別されたいという欲求もまるでない。彼らは自分達が映されることには興味を持たず世界を映しだすことを欲望し要求するだろう。ブルジョワの階級とは鏡であり、ブルジョワの階級こそが世界とあなたを映しだす。識別される個人や名前を形成するのはブルジョワ階級という鏡だ。ブルジョワ階級とは光であり、世界やあなたに背後からサーチライトで光をあてる。世界やあなたを原寸以上の化物にして舞台に映しだす。鏡や光とはブルジョワ階級のことであり、鏡に映った世界が本当なら不幸なことに映っている私達はブルジョワ階級そのものだ。鏡だけが鏡に映らない。ブルジョワの階級だけが鏡に映らない権利を有する。私達は鏡に映った私達を見ることはできるけれど鏡そのものを見ることはできない。社会主義のリアリズムが見えない世界や抑圧された世界に光をあててそれを正しい本来の姿に映しだすことなら、ブルジョワのリアリズムは発狂することだ。
 ブルジョワの階級は私達に発狂することを要求する。発狂した工場、発狂したガソリン、発狂した機械のギアの一つになること。永久に磨耗せずに発狂した部品であること。レイモンド・ルーセルの「アフリカの印象」のような目的のない無限の生産を開始する永久機械として発狂する。
金村修

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