Workshop SiteHomeNewsStatementsReportsExhibitionInformation
Report / 金村修の言葉 2011年2期 4月11日〜6月13日
講評中の金村修の言葉を タカザワケンジが毎回ピックアップ
2011年2期 第一回 4月11日
2011年の2期ワークショップがスタート。今期も一人ずつ、プリントをテーブルの上に並べ、講評が始まった。
−−金村修ワークショップは写真家をめざす人、写真作品を制作し発表したい人を対象にしている。
  「作家」として、写真作品を発表することの「決意」について、金村修が語った言葉を最初に紹介しておこう。

公募に出そうとばかり思っていると、優柔不断になる。あっちの賞の傾向は? こっちの賞の傾向は? と考えるから。
写真を発表するときは、自分の手から離れるとき。写真が自分のものだと思ってるうちは個展なんかできない。
写真家になるということは、30万円のお金を払ってギャラリーを借りて、個展ができるかどうか。その覚悟があるかということ。
そこまでやってみないと、『これもいいけど、これもいい』と言い訳になる。
半年なら半年集中して作品を撮りためて、個展をやったほうがいい。個展は「作家になる」っていう決意だから。
2011年2期 第二回 4月18日
花見の前で、コンテンポラリーダンスをやっているダンサーを撮影した作品。シャッタースピードを変えて撮影している。
過酷なことをやらせたら? 水に潜らせる。実験だからさ。いろんな実験をやったほうがいい。
ずぶ濡れの状態で街を歩いているところを撮るとかね。
俺、昔、映画を作っていたとき、『髪の毛を切りながら街を歩く』というのをやったことがある。
自分で髪の毛を切りながら歩いて、友だちに『このアングルで』と頼んで撮影してもらった。
覚悟を決めてやってるから、後で見ると目つきがわるいんだよね。
モデルと写真からなら、写真家のほうが偉い。自分のエゴのために従わせないと。それで友情が壊れたっていいじゃない?
二、三カ月撮影してバイバイでいいんですよ。

−−みんなにいい顔をして作品は作れない。厳しいけど、それはたしかに正しいと思う。
  シャッターを押せば写真は撮れるが、それを作品にするためには、いろいろな意味での大変さがつきまとう。
  モデルとの関係をどう考えるかも、その試練の一つだろう。ケンカすればいいってものではないが、そこに緊張感は必要だ。

−−金村が言っている「モデルより写真家のほうが偉い」というのは、少なくとも、作品のために何かを犠牲にするためには、
  その自負が必要だという意味だろう。ヒエラルキー的に「偉い」のではなく、写真を撮る側の主体性を問うているのだと思う。
  モデルに対して行なったことの責任まで引き受けるところまでいかなければ、「偉い」とは言い切れないはずだからだ。
2011年2期 第三回 4月25日
受講生が持ってきたのは、今回の大震災で被害を受けた水戸の写真。ライカに望遠レンズをつけて撮ったモノクロ写真が中心になっている。
レンジファインダーで望遠とはなんと無謀な(笑)。
ファインダーはあてにならないし、135ミリという望遠も肉眼ではありえないから、画角に慣れていない。
そこが面白いんだよね。カメラにしがみつくようにして撮ってる。

−−一眼レフと違ってレンジファインダーはレンズを通したフレームをそのまま見ているわけではない。
  当然、現像したときに、撮影時とはフレーミングがズレてしまう。その不自由さがいいと金村は言う。

監視カメラの映像みたいなんだよね。画面、フレーミングを考える余裕がない。
なんのためにアップにしてるのかわからない。バスをアップにしたってしょうがないんだから。
でも、それでいいんですよ。まず写ることにびっくりする。バスがアップになることが面白い。それが写真──っていうのかな。

−−“われわれは時代という名のバスに乗っている”──たとえば、そんなタイトルがついたら、この写真の意味は大きく変わる。
  写真は撮影したあとにも「発見」され続ける。
2011年2期 第四回 5月2日
あるルールを決めて撮影している受講生。そのルールには合っているが、被写体としてどうなの? と思うものがあるという。
撮っておいたほうがのちのちトクをするんですよ。たとえば、東松照明さんが1960年代の新宿騒乱とか撮っていて、
とくにいい写真ってわけじゃないんだけど、東松照明の作品として考えると、「撮っておいてよかった」(笑)。

俺も、使えないと思いながら撮るときあるよ。勢いをつけるためとか。
あと、被写体として面白いものってあるじゃない?(笑)どうしても撮ってしまう。すぐには選ばなくても、いつか選ぶかもしれない。
2011年2期 第五回 5月9日
横位置で撮影して縦位置にトリミングするという手法で制作した作品について。
最初から縦で考えて撮っていたらこんなにおもしろくならないんでしょうね。

これってある意味、自己否定じゃない?一生懸命撮った写真をバッサリってるんだから。
トリミングすることによって、横位置のときにはあった“自分”が消えていくんですよ。

ただ、それを本人が積極的に選んでいるのか。選んでいるならおもしろいけど。
でも、ほんとなら、横位置の写真で中心が消えているのが望ましいんだけど。
2011年2期 第六回 5月16日
モノの大きさ、質感がわかる写真と、それがわからないように撹乱する写真がある。
前者が説明的な写真だとすれば、後者は表現に踏み込んだ写真だ。
建物の写真が入るといいんじゃない?モノの写真のスケール感とごっちゃになるから。スケール感がわからなくなってくる。

大きさがわからないものが混在することはけっこう重要なんですよ。
同じ距離で一定化しちゃうとモノを撮ってるのか、という感じだけど、スケール感がわからなくなるとモノなのか、何なのか、
撮っているものがわからなくなる。そうすると、“写真”を見ているとしかいいようがなくなる。
2011年2期 第七回 5月23日
あるルールを決めて撮っている受講生の写真について。そのルールにのっとって撮ることの意味を語る。
ここは撮りたくないけど、××(あるルール)だから撮ろうと思うと、思っているのと違うイメージが撮れる。それは新しい。
規則を決めて機械的に撮っていったほうがいいんですよ。
自分の感性よりも、自分が作ったルールを優先する。それで撮ったものがつまんなくたっていい。

写真1点が面白い、つまらないはどうでもいい。××を撮るというルールにしたがっているほうが一番重要。
自分の美意識はどうでもいいんじゃない? っていうのが現代写真だから。
2011年2期 第八回 5月30日
「ウィノグランドは本当に機械的。それが70年代以降の写真を決定した。」
(ゲイリー・)ウィノグランドは『写真を撮るように写真を撮る』ことを実践した人。
それまでの写真家は、おもしろいものがあったら写真に撮っていた。しかし、そこに写真はないんですよ。
おもしろいものをコレクションしたということだけだから。
ということは、写真じゃなくてもいいわけでしょう。ただ、スケッチよりも速くて正確だというだけ。
ウィノグランドのように『写真』を意識したとき、そこに写真が入るんですよ。あなたと世界の間に写真が入る。
そのとき初めて『写真とは何だ』、ということになる。
2011年2期 第九回 6月6日
「間があるから、モノとモノの関係が見えてくる」
モノがかたまってる写真と、散っているのとどっちがいい?

バラけてるほうがいいと思うんだよ。空間が見えるっていうか。かたまってると一つの面みたいじゃない?
バラけていると、こことこことここの間とか、いろんな距離が発生するから。

間がちゃんとあるから、モノとモノの関係が見えてくる。
2011年2期 第十回 6月13日
壁面を一つのキャンバスと見立てたときにどう見えるか
一列だと一直線の時間しかない。でも、写真の時間は直線じゃない。
展示会場における写真の時間は4段がけにすれば横にも縦にも斜めにも流れる。

1点として見るよりも、何十枚と重ねることでどう見えるか。

壁面を一つのキャンバスとして見立てたときにどう見えるかという意識が必要だから。

PageTop
© 2011-2014 KANEMURA OSAMU WORKSHOP
Home | News | Statements | Reports | Information |