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Report / 金村修の言葉 2011年1期 1月10日〜3月14日
講評中の金村修の言葉を タカザワケンジが毎回ピックアップ
2011年1期 第一回 1月10日
2011年の第1期のワークショップがスタートした。参加者は15名。一人ずつ、プリントをテーブルの上に並べ、講評が始まる。
金村修が写真について語った言葉を紹介しよう。第一回目は街の看板について。
−−作品は街の写真。金村いわく「こんなに面白いものが街にあふれてるのか」という写真。ドギツイ色の看板が密集した写真がある。

金村:看板が難しいのはシリアスになりにくい。
俺も看板を撮るけど、引くじゃない? 何でかっていうと、一つのものに興味を集中させないため。
引いて看板をたくさん入れることで、看板の内容に注意が集中しない。

−−看板が入っていない写真を選んで並べる。

金村:このほうがいいんじゃない? シリアスな現代写真って感じで。

受講生:意識的に、看板は撮らないほうがいいんですか?
金村:撮っておいて、別のハコに入れておく。看板も、そのうち、字があっても面白く感じるような写真が撮れるから。
キミの写真がちょっと弱いのは、律儀に看板の文字を追っているから。ちゃんと意味が説明できるように撮ってる。
でも、それは写真としては面白くない。
鈴木(清)先生も看板を撮っているけど、その看板が何を説明しているのかよくわからなかったりする。
いったい、この看板が何を説明しているのかわからない、とかね。
森山大道の字の撮り方は色っぽい、人間味があるような撮り方だけど、中平卓馬はタイポロジーみたいに撮る。
写真家によってそれぞれ看板の撮り方も違う。

−−一枚の写真を選んだ。

金村:文字を入れるにしても、この写真みたいな入れ方なら面白いと思う。字を読んでも『術研究所』って? 意味がわからないから。
2011年1期 第二回 1月17日
今回は飼犬の写真を撮影したシリーズについてのやりとりを紹介する。
−−机の上にびっしりと並んだのは、犬、馬などを被写体にした写真。クローズアップ、ポートレート的なミディアムショット、スナップショットなど、さまざまなアプローチの写真がある。そのなかから金村が選んだのは、リードをつけて散歩中に撮影したもの。

これ、いいんじゃない? 犬が歩いている写真。見るほうが入っていきやすい。馬の目や毛並みのクローズアップ写真は、馬や毛並みとは別のことを考えてしまう。動物を使って何かの感情を表現しようとした、みたいに。だから、写真の内容にそのまますっと入っていきづらい。でも、この写真は犬と私とカメラしかいない、みたいにすーっと入っていける。

−−犬に引っ張られながら撮影しているので、撮影者に余裕がない。その余裕のなさが、撮影者が考えている以上の効果を生む場合がある。

被写体に引きずりまわされるのは写真の基本。みんな被写体をコントロールしようとする。でも、引きずられてもシャッターボタンさえ押せば写真は撮れるし、そのほうが面白い写真になるんですよ。
2011年1期 第三回 1月24日
住宅地と工場が混じり合った一帯の写真。新しいものと古いものが混在している。
−−金村の第一声は「写真からだんだん、作者の個性が消えていくなあ」。褒め言葉だ。

“自分”なんかまったくいらないと思うんですよ、写真には。それを何年もやり続けていくのはラクじゃないけど(笑)。“自分”“自分”みたいな写真は見づらいんですよ。撮っている人が邪魔して写真に写っているものが見えてこない。これは見やすい。

−−この風景を肯定しているのか、否定しているのかは、見る側にゆだねられている。

もう少し見づらい写真が入っていてもいいのかもしれない。全部同じ調子で見られることも善し悪しだから。まあ、撮ってみて、選ぶときの問題だけど。
2011年1期 第四回 1月31日
温室のなかで「触れるように」撮った写真。そこにセレクトはない。
−−温室の写真を毎回大量に持ってくる受講生。類似カットがたくさん出てくる。

大量にあったほうがいいだろうね。年よりの写真家に怒られるだろうな。『キミ、セレクションということを知らんのかね』。でも、セレクションをしないということを選んでいるわけだから。

−−執拗に撮影された写真は何かを狙って撮っているようには見えない。強いて言えば、その状況のなかに入り込んでいる写真だ。

触覚的なんだろうね。見ているんじゃなくて触っている。

−−触覚的ということは、この写真が何かを「見る」ことを手放しているようにも見えることにも表われている。

この手の写真ではピントをきっちりするのが普通。でも、ここにある写真はピントの位置もあいまいだし、ブレてる写真もあるかもしれない。ピントが合っていることを放棄している。そこが新鮮なんだよね。

−−温室のなかを撮った写真だけでなく、外から温室を撮影した写真と比較するとはっきりする。

外の写真は『眺める』写真なんだよね。中の写真は触覚的だけど。
2011年1期 第五回 2月7日
今回は金村修の言葉を一言だけ。
写真家はわからないときにも撮るんだよ。アマチュアは目の前のものがわかんないと、そこで撮るのをやめちゃう。われわれはわからないものに対しても、思考しながら撮る。そこが違う。アマチュアはすべて納得してからシャッターを切る。だからつまらない。
2011年1期 第六回 2月14日
カラー写真が一般的になったいま、白黒写真にはどんな意味があるのか。
−−資材置き場、工事現場などを撮影したシリーズ。

白黒だからいいんだろうね。カラーだとサビの色とか見えてくる。白黒がリアリティがあるというのはウソで、白黒は現実を抽象化する。

−−白黒がリアルだという幻想は、情感や感傷と容易に結びつく。カラー写真が一般的になったいま、白黒写真は「写真らしさ」を感じさせるため、ノスタルジーの演出に使われがちだ。もしかすると、白黒写真を好んで撮っているアマチュアの多くがそうかもしれない。

白黒=ノスタルジーは間違っている。実は白黒は凶暴。
2011年1期 第七回 2月21日
システム化することで「考えずに」撮影する。
−−住宅地を撮影したシリーズ。慎重に撮影場所を選んで1カットずつ丁寧に撮るというスタイルだったが、住宅地を被写体に決めて、一定数以上の写真を撮れるようになったという。金村は量を撮影することについてこう語る。

同じところをぐるぐる回っていると考えるヒマがなくなる。思考できなくなるじゃない?それがすごく面白い。考えないで撮れるのがいちばんいいから。

−−しかし、「考えない」ことは、「ただ、なんとなく」撮るのとは違う。

考えてません、って言う人だってたいていは何かを考えてる。たいがい、雑誌の写真とか、見たことがある写真に汚染されてるから。そういうものの影響下にあるのに、それに気づかずに撮っているのがいちばんマズい。

−−金村が言う「考えずに撮る」こととは、あえていえば「考える余裕がないくらい意識を没入させて撮る」ということのようだ。

システム化して撮る。たとえば、五反田の駅に降りたら30分ぐるぐる回って撮り続けるとか、ルールを決める。ロボットみたいに撮れるようになれば、何も考えずにシャッターが切れるようになるから。
2011年1期 第八回 2月28日
タイトルによって写真の見え方がかわる。
−−酒井隆史の『暴力の哲学』で論じられている「反暴力」と作品の関係について語る受講生に対して、金村の言葉を紹介しておく。

そうか。こういう建物、デザインが押しつけてくるものを、まなざしで抵抗するということか。これ、暴力とか虐殺とかってタイトルつけるとちょっと意味が変るから面白いと思う。こういう写真を撮る人って空虚とか空っぽとか言いたがるから。
2011年1期 第九回 3月7日
意識のコントロール外で撮るために。
受講生:壁とかいままで撮ったことないんですけど。

金村:ふつう、人間は壁とか撮りませんよ(笑)。

受講生:とりあえず、フィルムを終わらせてと思って。

金村:そういういい加減な精神は大切ですよ。非常にいいですよ。疲れ果てていたりするといい写真が撮れたりするんだよね。しょっちゅう撮っているうちに、いつでもそういう精神になるから。変調を来すって言うのかな。そうなるといいけどね。いい加減な感覚で撮ったほうがいいと思う。あとでその感覚を思い出して撮れるようになればいいから。
2011年1期 第十回 3月14日
“いい写真”を撮るだけでなく、それをどう構成し、作品という「全体」を作っていくのか。
金村:画面を作ろうとしているところがある。画面の真ん中に電柱を入れて画面を分割してみたりとか。画面を構成する方向に行くのか、壊していくほうに行くのか。言い換えると、カタチに反応して撮っていくのか、モノに反応していくのか。どっちの方向に行きたい?

受講生:モノのほうが面白いのかなと思うんですけど、いいモノにはそうそう出会えないかな、と。

金村:でも、実際、現に毎週これくらいの写真は出てきてるから、出てくるには出てくると思う。まだ未分化なんだよ。画面を作っていくほうにいくのか、モノそのものほうへ行くのか。たとえば、中平(卓馬)さんはモノに反応している。スタイリッシュだけどね。

受講生:撮るときに自分で区別しているつもりはないんです。

受講生:撮り方はストレートだと思うんですよ。気になったものを正面から撮る。それはそれで魅力的だけど、長く撮っていくと、どうしても画面を作りたくなってくる。画面を構成する魅力ってあるから。電柱で画面を左右に分割して、という撮り方は知的に操作してる。それよりも、ポンってモノだけがある写真のほうが面白いとは思うけどね。分解できる写真と分解できない写真が展示したときに同じように見える状態がいちばん望ましい。それが作家性だから。写真の束があって、そこにある相矛盾しているものがつながって見えるくるのが作家性。1点1点はいいんだよ。でもまとめて見たときに、まだ作家性が見えて来ない。まだ“いい写真”の段階で留まっている。

−−“いい写真”を撮るだけでなく、それをどう構成し、作品という「全体」を作っていくのか。「写真作家」の仕事は「作品」を作り上げるまで終わらない。

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