SUBTERRANEAN HOMESICK

SUBTERRANEAN HOMESICK

外国で撮った写真を見るとどこか奇妙な悲しさや寂しさを感じるのは何故なのだろう。所詮ツーリストの視線でしかないからだろうか。偶然出会って撮影した光景には常にさよならという別離の言葉が貼り付けられている。
ここは私のいるべき場所ではない。そんな感慨がいつもつきまとう。多分それは自国で撮っても外国で撮っても変わらない意識だ。写真家には帰属する場所はどこにもない。撮影すればするほど世界は遠のいていく。ケルアックの『サブタレニアン(地下街の人々)』はそんな寂しさに満ちた本で、そのような寂しさに呼応した写真展を開催してみようと思って作られた展覧会が"SUBTERRANEAN HOMESICK"だ。黒づくめのタートルネックで黒人のジャズを熱狂的に聴きまくるサブタレニアンに希望は唾棄すべきものでしかないように、私たちの撮るドイツやアメリカの風景にも何の希望もない。そこにあるのはただものが散乱しているだけで、それはボブ・ディランの"サブタレニアン ホームシック ブルース"のようにただ世界が投げ捨てられている。

Osamu Kanemura, Mike Nogami and Hiroko Komatsu
AT Gallery LeDeco 4th floor, Shibuya. ledeco.net
FROM 2017.12.12 TO 2017.12.24 12-7pm (Close Monday)

Osamu Kanemura

人間は風景の一部でしかない。ケルアックの小説を読んでいると、そんなように思えるときがある。“目の前にはバトラー・ロードと十ブロックに及ぶベツレヘム・ウエスト・コースト・スティールの巨大なバラ色のネオンがあり、頭上の空には星が出ている。そこに座っていると突進してくる蒸気機関車の煙の匂いがし、夜の線路の彼方へと走り去っていく。それを曲がっていくあたりにはサウス・サンフランシスコ空港があって、愚にもつかない赤い照明が揺らめいている”(『THE SUBTERRANEANS』/Jack Kerouac)ネオンや線路や空港が人間の存在よりも魅了的に語られる。『On the Road』/Jack Kerouacの“アメリカに太陽が沈むとき、ぼくは古い壊れた河の桟橋に腰をおろし、遠くニュージャージーを覆う長い長い空を見つめ”ているというその描写には、空を見つめている自分がいつのまにか見ているという主体的な立場から徐々に“その長い長い空”の中に溶解していくかのような感じを受ける。自分の存在はアメリカの風景を構成する一部でしかない。風景の中に遍在化する人間。人間は風景の中の特権的な存在ではなく、身の回りに転がっている石と同じようなものとして扱われる。それは人間嫌いから発生するアンチ・ヒューマニズム的な悪意ではないし、資本主義社会下で人間の本質と労働が疎外されていることについてなにか意見を述べているわけでもないでもない。人間は“壊れた桟橋”と同じように、意味もなくそこかしこに存在するものでしかないのだ。人間が必要とされない風景。巨大なネオンと空港と星に占領されたケルアックのサンフランシスコ。すべての風景は人間に対して無関心であり、砂漠の砂の流れのように無目的に生成される。そんな無人化した風景をケルアックは肯定しているのではないだろうか。
人間は砂漠の砂と同じで無数にそこに存在しながらも、砂漠の中心的位置を獲得することが決してできない。無数の砂に覆われた砂漠。砂漠に中心は存在するのだろうか。人間の目にはどこまで行っても同じ砂漠にしか見えない光景なのかもしれないが、砂漠の側に立てば同じ光景はそこに一つも存在しない。人間の目には何も変化しない平坦で何もないように見える砂漠は、つねに変化し続ける存在であり、アットランダムな周波数の発生が人間の耳にはまるで意味のないノイズに聴こえるように砂で充満した砂漠の豊穣な光景は、人間の目には何もない空っぽの光景に見えるのだろう。

Mike Nogami

2002年のニューヨーク、カーボンファイバーの三脚に8×10カメラとフィルムフォルダ5枚を背負って、私は地下鉄を乗り継ぎロングアイランドシティ、ブルックリン、ブロンクスと気ままに出かける。

何も考えない、見るというか眺めるだけ。脈絡もない光景が波のようにうちよせる。

写真は表面だけの世界。光、フォルム、パースペクティブ、そしてディテールだけの世界。
私は19世紀の写真家になったつもり。

Hiroko Komatsu

芸術が表現者あるいは表現物と鑑賞者が相互に作用し合うことなどで精神的・感覚的な変動を得ようとする活動だとするならば、表現者の思考それ自体は速度をもたない。仮に思考を現実の「もの」に置き換えてゆく行為を「創作活動」と呼ぶならば、「創作活動」にとって速度は重要かつ多義にわたる選択に関わると思われる。

例えばケルアックはタイピングが速かったと言われている。文章を書くということが思考を言語に置き換えてゆく行為だとすれば、その文体とタイピングの速度は無関係ではありえないだろう。またブコウスキーが晩年タイプライターをMacintosh IIsiに置き換えたとき「本質的にはスピードの問題ではなく、言葉の河がいかに淀みなく流れるかどうかという問題(『死をポケットに入れて』中川五郎訳)」としながらも、オリジナル原稿に直接手を入れられることで得られる速度の増大に歓喜している。

写真制作におけるカメラという機械を使用する撮影という作業は、思考を置き換えるというよりも反応しているとしか言いようのない速度で進行する。感度400のフィルムを使用した場合では光の状態にもよるが1/125秒で一枚の画像がフィルムに焼き付けられる。カメラという機械のもつ速度は思考を現実の「もの」に置き換えてゆく行為には適さないというところから始めることにする。

INFORMATION

「SUBTERRANEAN HOMESICK」は、金村修、マイク野上、小松浩子によるグループ展であり、異なる性質の作家の作品が、展示会場内で干渉し合い一つの空間を構成することを目的とする。
現在3人は日本に在住し制作の場としているが、本展では日本以外の場所、つまり自身が所属していない場所で撮影された写真を中心に展示を行う。

ギャラリー・ルデコ 4F
2017年12月12日(火)〜 12月24日(日)(月曜休廊)
11:00 〜 19:00(最終日 11:00 〜 15:00)

Information
ギャラリー・ルデコ
〒150-0002 東京都渋谷区渋谷3-16-3 髙桑ビル3~6階
TEL:03‐5485‐5188
E-Mail:ledeco@ledeco.name
URL:http://ledeco.net/

Event #01
トークショー / 金村修 × マイク野上 × 小松浩子
2017年12月15日(金)19:00 〜 20:30
ギャラリー・ルデコ 4F
入場料:1,000円(1ドリンク付)

Event #02
クリスマスパーティー / Live(THE SUZAN 他)+ DJ(本間有一 市川晋二)
2017年12月23日(土)18:00 〜 23:00
ギャラリー・ルデコ 4F
入場料:2,000円(2ドリンク付)

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